不安の先になるもの

 新しいことを始めたり新しい環境に行くと、不安を感じる。新しい環境に行けばどんなことが起きるのかわからない。それよりも今までいたよく知っている心地の良い環境のほうが危険も少なく、その環境に留まりたいと思う。そして不安はそのことを正当化するために生まれるのではないか思う。そのままでいれば、自分を傷つけるものに出会うことはない。そして不安を理由にその不安に従い、人は新しいことを始めるのを止めてしまう。

 今までの環境にとどまり続ければ確かに危険は少なく、生存を脅かすことはない。しかしそれは同時に、成長をもたらす機会も失ってしまうことを意味するのではないかと思う。人は新しい環境に行き困難に直面し、その困難と対峙することで成長していくのではないかと思う。その困難は私達を傷つけるかもしれない。失敗してつらい思いをするかもしれない。しかしその経験を糧にして、人は次に来る困難を乗り越えることができるのだと思う。

 新しいことを始めるのは恐ろしい。でもその恐れに流されず、勇気を持って挑めばそれだけの価値をもたらしてくれる。楽な方へいってしまいたいときはその感情がどうして生じるのかを考え、その環状に流されるのが良い選択なのかを論理的に考え判断しよう。

 

大学の研究分野が決まらない

今興味が有ることを興味が強い順に箇条書きしよう!

 でも、これらの興味あることは興味のないものを消去法で省いていって、そして残った消極的な興味あることなんだよね。

「これがやりたい!これがないと生きていけない!」と思える人生の目的のようなものを私は未だに持てずにいる。そしてその持てない目的の代替として、目的を叶える手段であるはずのプログラミングや統計の勉強自体を目的としてしまっている。また、人生の目的がないために、勉強する意義が持てず、勉強していても面白さを感じない。むしろ義務と感じ、苦痛に感じさえしてしまう。以上のことから、人生の目的を見つけることが今の私には必要なのだと思う。見つけることに対する意義は持てるので、いろいろな本を読んだり外へ出て人と接することをして今はその目的を探している。

 

楽しさ

 10年ぐらい楽しい感情を感じていない。常に憂鬱であることが当たり前になってしまい、憂鬱でない自分が想像できない。でも、これまで生きてきた二十数年間、常に憂鬱であったわけではない。家族旅行や病気の時に優しく看病してくれた母、小中学校の修学旅行など、楽しい思い出も多くある。しかし、今の私はその時楽しかった私が自分とは別の存在のように感じわれて、楽しいという感覚を理解することができない。この先、楽しく感じられるときを手に入れるために勉強することが今の生きる目的となっている。